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2013年5月26日

西方見聞録 二日目

5/26 10:00 万博記念公園

宿の大広間で朝食を摂り、支度をして外出。今日はいい天気。
旅疲れの所為か少し出遅れた。予想以上にカメラのシャッターを
切っているので駅前のヨドバシでメモリーカードを追加購入しておく。
阪急梅田は東横渋谷をもっと大きくした様なターミナル駅だ。
ここを起点に神戸、宝塚、京都の三方向に線路が伸びている。
万博公園へ行くにも2通りの行き方があるらしい。
今回は南茨木で大阪モノレールに乗り換えるルート。
阪急は車両もホームもワックス掛けが行き届いていて上品な印象がした。
梅田から約20分でモノレールに乗り換え、車窓に吹田ICが見えると、
程なくして緑の中に立つ太陽の塔も見えてきた。
万博記念公園へは中国道を跨ぐ橋を渡って行くのだが、
その前に反対側の万博記念機構のビルを訪れてみる。

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万博記念機構ビルは60年代後半のレトロフューチャー感のある建物。
当時の貴重な建造物なのだがあまり紹介されていない様である。
たくさんの大窓がやや複雑に配置され、細長い台形の柱が
アクセントになっている。万博当時はここが協会本部だったのだ。

公園のメインゲートを潜ると正面にデーンと太陽の塔。
青空と緑の背景に塔がよく映えている。自ブログを振り返ると、
前回来たのが2004年8月26日。実に8年振りの対面である。
その時は二日酔い明けの灼熱地獄だったが、今回も日向は暑かった。

前回の太陽の塔↓

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今回の太陽の塔↓
後方の万国博ホールと国立国際美術館が取り壊されてしまった

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昼食はお祭り広場の木陰で黒い太陽を眺め乍らおにぎりを頬張る。
大阪に来てまだ大したものを食べていない様な気がするが、
ピクニック気分で食べるおにぎりは美味しかった。

食後は2年前に出来たEXPO'70パビリオンへ。
唯一の残存パビリオンであった鉄鋼館を改装したもの。
エントランスホールにも当時のものが展示されている。
外国からの寄贈品や池田フォーンと呼ばれる楽器、
エキスポタワーのパーツなどがあった。
そしていよいよ赤一色に塗られたパビリオン内部へ。

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嬉しい事に写真撮影がOKだったので撮りまくる。
公園の入園料を払っているとは言え、これで入場料200円は安い!
「人類の進歩と調和」の世界観を堪能し、当時を追体験する事が
出来て大満足だった。

鉄鋼館の外へ出ると土曜なので子連れの客で賑わっていた。
広々とした園内は昭和記念公園に似ている。緑の中を暫し散策し、
再び太陽の広場に戻る。ここで中央休憩所なるガランドウの施設を
見つけた。しかも往時のまま手つかずの様子。こんな荒廃した
休憩所がひっそりと佇んでいるなんて。なんだか得した気分だった。

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その他、人を整列させる為に柵で小分けに仕切られた階段などが
目立たない所にあり往時を偲ばせた。園内を探せばまだまだ
遺構は見つかるかもしれない。しかしそろそろ陽も傾いてきたので、
退園する。廃園になったエキスポランドの入口付近をカメラに収め、
16時半のモノレールに乗った。帰りは大日という所で乗り換え、
地下鉄谷町線で天王寺へ。

17:30 天王寺〜新世界

天王寺駅改札で無事友人と合流し、徒歩でぶらぶら新世界へ。
すると駅前でハリボテの大阪城が乗っかる建物に遭遇。
大阪ディープ案内に載っているホテル醍醐だ。早速、大阪B級スポットの
洗礼を受ける。所々フェンスで覆われた天王寺公園を少し歩くと
古めかしいゲートが現れた。

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以前、NHK日曜美術館で観た市立美術館だ。外観に惹かれていたので、
入場券を買って中へ。「酒類購入のための再入園は認められません」
の注意書きが面白い。市立美術館は昭和11年竣工の歴史主義建築。
美術館に併設された70sな雰囲気のレストランルージュも味があった。
裏手に回ると慶沢園という庭園がある。ここにも
「一、飲酒して入園しないこと 二、園内で飲酒しないこと…」
の注意書きがあってズッコケた。入園料を取っても酒好きの
ホームレスが入って来てしまうらしい。
慶沢園は住友家本邸の庭園として明治41年に造園との事。
そしてその素晴らしい景観の向うに先程のハリボテ大阪城が!
この台無し感が大阪らしくて笑ってしまう。

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『A級スポットの側にいつもB級スポットあり』

というのが今回の大阪旅行で分かった事。
公園を後にして高速道路を潜るとそこは新世界。大阪はなんでも
巨大なハリボテにしてしまう即物的看板文化だ。そんな看板文化が
ここ新世界に集結していると言える。それにしても10年くらい前に
来た時よりも矢鱈とビリケンが目につく様になった。
スパワールド横には火事の焼け跡の様な廃墟があったが
随分前からこの状態らしい。新今宮の方へ軽く足を延ばすと
大阪救霊会館という妖しい教会があった。
ストリートビューより↓

Photo

コンクリート壁と鉄柵の間にテレビモニターが設置されており、
主は〜というお決まりの文句や砂嵐だけの映像などが流れ、
こちらの緊張感を煽る仕掛けになっている。4台とも趣きが異なる
手作り屋根に覆われているのがなんとも言えない。
そしてジャンジャン横丁に戻り、晩飯はどて焼きと串カツでビール。

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すっかり日も暮れたので、通天閣に昇って夜景を眺める事にした。
展望券売場と売店がある2階の通路はお菓子のダンボール箱が
雑然と積まれ、さながらコンビニ倉庫の雰囲気。営業中でも
お構いなしなのが面白い。3階の狭い通路を奥へと進み
展望エレベーターに並ぶのだが、ここには通天閣の歴史が
パネルやジオラマで展示されており、初代通天閣のあった
ルナパークの模型もあった。初代が建てられてから今年で
丁度100年を迎えたので大々的に展示しているらしい。
3月にザ・タワー展を観たばかりなので、予備知識はバッチリだった。
奇遇な事に実は一緒にいた大阪の友人と観たので、
今回の旅はよくよくタワーに呼ばれた旅とも言える。
金ピカの内装やビリケンさんには全く食指が動かないが、
通天閣の夜景とB級ぽさを満喫出来てよかった。

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通天閣本通商店街を通り恵比須町へ向かうと、件のスーパー玉出が
あったので潜入する事に。店内はネオン管と蛍光管と白熱球の
目映い狂演が繰り広げられており、兎に角派手でクラクラした。

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21:30 日本橋〜心斎橋

お次は堺筋を北上し、大阪の秋葉原とも言うべき日本橋の
でんでんタウンへ。大阪名物という五階百貨店を発見。

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三階建てなのに五階とはこれ如何に?と思って後日調べると、
実は明治時代に五階建ての眺望閣というタワーが建っていた為、
五階の名前が地域の通称になって残ったのだった。なんとここでも
タワー巡りが続いていたのである。電気街の向かいには
訪れたかった高島屋東別館があったが、もう暗いので
明日また来る事にして堺筋からなんさん通りへ入る。
我々の片手には缶ビールが握られているので、片方が塞がったまま
シャッターを切るのはなかなか大変だった。

すると間もなく千日前の歓楽街に出た。そして見つけた味園ビル!
老舗キャバレーユニバースが閉店したニュースは記憶に新しい。
youtubeで観た味園のスペーシーなCMが頭をグルグル駆け巡る。
魅惑的な造形の螺旋スロープに誘われ上階へ潜入してみる事に。

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エレベーターホールを抜け奥の階段を上がると、雑居ビルの
スナック街の様な雰囲気。しかし普通のスナックよりも
変わった店が多く、アングラ臭の漂う店がたくさんあった。

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これも後日調べてみたところに依ると、寂れたカラオケスナック街を
安価で若者に提供したところ、いつの間にかサブカルの殿堂に
なったらしい。キャバレーだったB1も今はイベントホールになり、
若者の情報発信基地として再生している様で、暫くは安泰か。
しかしまさかあの味園ビルに潜入出来ると思っていなかったので
大満足だった。

千日前を後にしてお次は道頓堀の大阪松竹座。大正12年竣工の
ネオルネッサンス様式でござい。その松竹座の向かいに
古そうな雑居ビルがあるのを小生のいにしえセンサーが察知し、
早速潜入する事に。ビルの名は白亜ビル。昭和20年代後半の
造りとみたが果たしてどうか。戎橋を渡り昭和7年竣工の
南海ビルディング=高島屋へ。ライトアップが美しかった。
そして天王寺から歩きに歩いてとうとう心斎橋までやってきた。
友人と別れ、昭和8年竣工の大丸百貨店の下から最終の
地下鉄に乗り梅田駅へ。実は今回の旅で行く所は事前に地図を
プリントアウトして持って来たのだが、唯一、大阪、梅田駅付近のは
端折ってしまった。これは痛恨のミスだった。なにせ駅の周りが
斜めにカーブする道路や横断歩道のない歩道橋に囲まれ、
行きたいところになかなか辿り着けず何回も迷ってしまったのだ。
地下空間も然りで、新宿なんかよりもよっぽど難しい。
宿と駅との間の道もなかなか覚えられず、回り道をしたら
あさっての方に向かっていたりで、難儀をした。しかしその迷った
茶屋町で偶然、凌雲閣跡を見つけた。なんと一日で、太陽の塔、
ルナパークの初代、そして二代目通天閣、南の五階眺望閣に続き、
北の九階凌雲閣も制覇してしまったのだ。奇遇にも程がある。
これが大阪のタワーに呼ばれたと言わなくて何と言おう。

宿に着くと0時を過ぎていた為、ロッカーから荷物が運び出されていた。
連絡がないとそういうシステムになっていたらしい。
幸いベッドはあったが、危うく宿無しになるところだった。
それにしてもよく歩いた。サウナで疲れをとり、明日に備えたところで
二日目が終了。

三日目につづく。

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